ネリー、、アリョーシャ、、

今日はドストエフスキーの『虐げられた人びと』を読んでむせび泣いていました。なんというか、、、わたしは彼の作品をまだそんなに読んではいないのですが、思想がどうのこうのと言う以前に、どの作品でも、内的にも外的にも人物描写が素晴らしいのに圧倒されます。ポリフォニーとはよく言ったものだと思いますが、それを十分生かすだけの描写力と叙述の饒舌さにはただただ平伏したくなります。何らかの類型化は避け得ないとしても、人物がそれぞれ全く生きているので、読み進めていくと線的な感動ではなく、大きな渦に巻き込まれるような、深みに呑込まれるような感じを覚えないわけにはいきません。
ネリーがミニヨン(ゲーテのヴィルヘルムマイスターの)を思い起こさせ、(突然発作を起こして痙攣したり、不幸な陰を背負っていたり、年上の主人公に愛を告白するところなど、、。ウェブでちょっと調べてみたところ、ネリーはディケンズの『骨董店』という作品から影響を受けて描かれたそうです。こちらも近いうちに読んでみたいと思います)ものすごく印象的で久々にクラクラきました。特に死の直前の、「私がついこのあいだ聖書を読んだことも言ってね。聖書には、汝の敵を赦せって書いてあった。それを読んだけど私はあの人を赦さないのよ。」(新潮文庫小笠原豊樹訳)というセリフ!!ナターシャとイフメーネフ夫婦間を感動的な和解へと導いた彼女の口から最後に出たあのセリフにはやられました。こういうところにこそ、ドストエフスキー氏の作品の求心力と強さが最も明白に出ている気がします。
それにあのアリョーシャ!作家にとってはかなり魅力的な人物だったと思います。書くのが。小説の人物としてはこの上なく魅力的で、嫉妬を覚えるくらいに美しいです。
初期の作品ももっと読みたいので、全集が欲しいところです。
それにしても、あまりに泣いたので目が腫れて大変なことになってしまいました、、。