猿温泉

先日鬼怒川温泉へ行って参りました。1泊2食付きで税込み4700円。鬼怒川に面した露天風呂はほぼ貸し切り状態で、一度は猿の親子までが間近に来るなど、自然に囲まれたなかなか素敵なお湯でした。風呂、トランプ、お菓子、ビール、お喋り、探偵ナイトスクープ、といったゆるい時間が、1人暮しの誰かの六畳間のような部屋の中に流れていきました。
翌日は子供の頃から気になっていた東武ワールドスクウェアへ。芸の細かいミニチュアにいちいち感動し、何度見返すか疑問に思いながらも写真をバシバシ撮りながら世界一周してきました。平日なのであれで普通なのかもしれませんが、人口密度は相当低めで、観光客とミニチュア周辺の植栽(木を模した)の手入れをしている人の数が同じくらいだったような気がしました。ああした手入れはかなりお金がかかるはずですが、維持費は大丈夫なのでしょうか。

そして、温泉地のコンビニでとうとう芥川賞受賞2作が掲載されている「文藝春秋」を購入。前評判でかなり偏見が擦り込まれていたのですが、結論から言うと綿矢りさ女史の「蹴りたい背中」が予想を裏切るほどの良作でした。
金原ひとみ女史の「蛇にピアス」は、わざとやっているとは思えない、あまりに稚拙な言い回し、凡庸な表現に幾度か寒気を覚えるとともに、悶絶しました。言葉が妙に身の丈に合っていないような白々しさも諸所に感じてしまいました。自分をさらけ出しているという意味では赤裸々な、ある種切実なものが表現できているのは確かですが、未来が見えない(本人の)かんじに、これから大変だなあ、と、そればかりが気になってしまいました。いつまでも何回もこういったスタンスで、同じようなことばかりを書くわけにはいかないでしょうから、そうした時に文章の力で読ませることができるのかどうか、選考の際にはそうしたことまで考えられているのでしょうか、、、?
綿矢さんの作品は、細部の描写が丁寧で適切で喚起力があって、視線と言葉の丈がぴったりと合っていてかなり好感が持てました。恐ろしく多くの女子が、「これはまさにわたし!」と思うであろう(思わない?)ことが予想されて、勝手に気疲れを感じたりしてしまいました。任意の組み分けを、休み時間の教室を、耳をつけた机の音を、お弁当の時間を、クラスの女子の笑っているところを、生徒に「歩み寄る」先生を、書くとこういう風になるよなあ、と、いちいち思った通りのことがとても丁寧に言語化されていて、そうそうこうだよね、と普通に相槌を打ちたくなる感じでした。ああいう、「蹴りたく」なる気持ちも、クラスの人たちに感じる違和感も、夏休みの重圧も、すごくありふれたものだと思いますが、そのありふれたものだけが自分の全てであるような「狭さ」こそが、まさにリアルだと思いました。登場人物もエピソードも、無駄がなくてうまくまとまっているし、これは良い、と。
まあそんなことを考えながら、これからルカーチを訳さねばなりません、、、、。

そうそう、ついでなので書いておくと、これから今度は「ジャニーズ作家」や「イケメン作家」「美少年作家」(←これを一番希望)などが出てくることが予想されますね。(もしかしてもういますか?)